インプラント治療の際に、抗血小板薬、抗凝固薬は中止する必要性があるのか?

はじめに

非常に難しいタイトルですね。
そうです。
この話は、非常に難しい話になります。(マニアックな話です)

抗血小板薬、抗凝固薬、アスピリン、ワルファリンといった言葉にまったく聞き覚えのない方は、読まなくてもいいような内容です。
上記の言葉に少しでも覚えがある方は、お読みになって下さい。
分からない方には、『抗血小板薬、抗凝固薬』なんて、なんのことか さっぱりだと思います。
しかし、『抗血小板薬、抗凝固薬』を服用している方は、興味がある話だと思います。

なぜこのような話をするのかと言いますと、上記のような薬とインプラント治療には 大きな関係があるからです。
現在、高齢化社会が加速しており、歯科医院でも多くのご病気をかかえた患者様が来院されます。
また、ご病気とともに、多くの薬を服用された方も来院されます。

ご病気をかかえている方の歯科治療で、問題となる処置の一つとして、抜歯や歯周病外科処置、インプラント手術といった出血を伴う行為があります。
出血を伴う治療を行う際に、『血サラサラにする薬』を服用されている方の場合、問題となることがあります。
この『血サラサラにする薬』が、『抗血小板薬、抗凝固薬』です。
今問題となっているのが、抜歯やインプラント手術等の出血を伴う処置の際に『抗血小板薬、抗凝固薬』を中断することで、逆に問題を引き起こしてしまうことがあります。

それでは、難しい話になりますが、まず先に、『抗血小板薬、抗凝固薬』について解説したいと思います。(この薬の意味が分からないと先に進めないので…)
まず、『抗血小板薬』の代表的な薬が、『アスピリン』です。
『聞いたことがある!』と思われたかもしれません。
アスピリンは、たいへん歴史の古い薬で、解熱鎮痛薬として長年使われてきました。
通常、薬局で売っているものがこれです。
今回お話するアスピリンは、少量では、血小板の働きをおさえて、血液が固まるのを防ぐ作用をします。
これは、狭心症や心筋梗塞、脳卒中(脳梗塞)などの治療に用いられています。

次に、『抗凝固薬』の代表的な薬が、『ワルファリン』です。
『血栓』の予防として使用されています。
血管内で血液が固まり、血流を止めてしまう状態を『血栓』といいます。
心筋梗塞や脳卒中(脳梗塞)がその代表です。

国内では1962年に市販が開始され,それ以降現在にいたるまで抗血栓療法の基本的薬剤として使用されています。
現在(2007年)、約300万人がアスピリンを服用、約100万人がワルファリンを服用しています。
そのため、『抗血小板薬、抗凝固薬』を服用されている患者様が歯科医院を受診される確率は非常に高いものであり、インプラント治療や抜歯といった出血を伴う治療の際には、『薬を中断して治療を行うか』 ということが、非常に大切なことになります。

結論から話しますと、『抗血小板薬、抗凝固薬』を継続(服用)しながら治療を行う必要性があります。(もちろん 条件はあります。詳細は、後で解説します)

『抗凝固薬、抗血小板薬』の代表的な薬

以下は、『抗凝固薬、抗血小板薬』の代表的な薬です。 服用されている患者様は、出血を伴う歯科治療を受けられる際には、必ず担当歯科医師に申告して下さい。

抗血小板薬

ワルファリンカリウム(ワーファリン)

抗血小板薬

アスピリン(バイアスピリン、バファリン)
塩酸チクロピジン(チクロピン、バナルジン)
ジピリダモール(ペルサンチン、アンギナール)
シロスタゾール(プレタール)
イコサペント酸エチル(エパデール)
塩酸サルポグレラート(アンプラーグ)
トラピジル(ロコルナール)
ベラプロストナトリウム(ドルナー、プロサイリン)

抗血小板薬、抗凝固薬』使用時の歯科治療における注意事項

患者様が、『抗血小板薬、抗凝固薬』を服用されている場合、歯周病の手術 やインプラント治療、抜歯等を行う際、歯科医師、そして患者様も治療後の出血や出血性合併症を心配し、『抗血小板薬、抗凝固薬』を中止(一時停止)する例があります。
ところが現在、薬の中止(一時停止)が本当に必要なのかどうか、疑問が持たれています。
『抗血小板薬、抗凝固薬』を中止(一時停止)することが逆に問題を生じるのではないか?ということです。
このことを裏付ける多くの報告があります。

報告1)
『米国のWahlの報告(Arch Intern Med., 158: 1610-16, 1998)によると、ワルファリンを中止し、抜歯した患者様(493例 542回)において、5例(約1%)で血栓塞栓症が起こり、うち4例が死亡した』
つまり、ワルファリンを中止して抜歯した場合、100人中、1人は、脳梗塞を起こし、場合により、死の危険性もある ということです。

報告2)
Maulazら(Arch Neurol., 62: 1217-20, 2005)によると、アスピリン療法中に脳梗塞を発症した群と発症しなかった群とを比較したところ、薬を中止していた患者様の割合は、発症群4.2%、非発症群1.3%で、薬を中止していた患者様の脳梗塞の発症が高いことを報告しています。

報告3)
国立循環器病センターの報告(Thromb Res., 118: 290-93, 2006)では、抗凝固療法例で脳梗塞を発症した23例中、抗凝固薬を意図的に中止していた例が8例(うち4例は抜歯による)あった。
中止例は退院時要介護が71%と、非中止例の21%に比べ予後が著明に悪くなっていたとしている。

報告4)
慶應病院では、 ワルファリン、抗血小板薬とも継続下で抜歯を行っている。
ワルファリン単独58例、抗血小板薬単独27例、両者併用23例で抜歯を行ったところ、後出血を見たのはワルファリン服用の2例のみであり、止血シーネで容易に止血できた。
ワルファリンの治療域は日本では1.6~2.8に設定されており、この範囲で確実な止血処置を行えば抜歯時の止血にほぼ問題はない。 としている。

こうした多くの報告から、日本循環器学会の抗凝固・抗血小板療法ガイドラインでは、「抜歯時には抗血栓薬の継続が望ましい」となっています。
ただし、患者様の状態により異なる場合もあるため、抜歯の際には、担当医師との事前相談が非常に大切になってきます。

現時点(2007)でのガイドラインとまとめ

欧米において、『抗血小板薬、抗凝固薬』を服用しながらの抜歯が可能かどうかについて、論文が発表されました。
PerryらがBr Dent Jに発表したもので、INR(PT-INR):2~4の治療域にあれば、重篤な出血のリスクは非常に小さく、逆に休薬により血栓症リスクが増大することを踏まえ、「外来の歯科外科処置を行う大多数の患者では抗凝固薬を中止してはならない」ことが、推奨されている。
※ INRとは、血液凝固系検査の国際標準化比値のことであり、International Normalized Ratioの略である。
日本人の場合は、PT-INR値を2.0以上3.0未満 に設定することが、出血と梗塞のリスクが低いことが分かっています。 ※ 2008年現在
しかし、逆に以下のような報告もあります。
医師116人を対象に行ったアンケート結果(2006)によると、抜歯時にワルファリンを中止・減量する医師が約70%、抗血小板薬を中止する医師は約86%であった。

つまり、『抗血小板薬、抗凝固薬』を服用している患者様の場合、医療サイドでも中断(一時停止)してから抜歯等の処置を行うという意識がまだ高いことが伺えます。
ちなみに抜歯時にワルファリンを中断すると答えた医師は、約17%しかいませんでした。

まとめ として、『抗血小板薬、抗凝固薬』(PT-INR 3以下の場合)を服用していても、歯周病外科、インプラント治療、抜歯 等の出血を伴う治療の際に、薬を中断する確実な理由はありません。
特に、『人工弁置換術後』の患者様では、抜歯時に『ワルファリン』を中断してはいけません。
ただし、患者様個々の状況をふまえ、医師、歯科医師との連携により検討することも大切です。

『抗血小板薬、抗凝固薬』服用患者様の抜歯時の注意事項

それでは、『抗血小板薬、抗凝固薬』を服用している患者様(PT-INR 3以下の場合)の抜歯時の注意事項は、どのようなことなのでしょうか?
抜歯後、止血を抑えるコラーゲンスポンジ等の材料を抜歯した穴に入れ、緊密に縫合を行い、完全に止血してから治療を終了することです。
PT-INRが3以下であれば、ワーファリンを服用したままでも抜歯後の出血の発現率は2.5%~7.5%であり、十分止血可能な範囲とのことです。

万が一、『抗血小板薬、抗凝固薬』を中止する場合には、いつから中断すれば良いか?
先程書きましたように基本的に、歯科医院にて抜歯やインプラント等の出血を伴う治療の際には、『抗血小板薬、抗凝固薬』の中断は、必要ありませんが(PT-INR 3以下の場合)、出血量が多くなる等の可能性がある場合で、どうしても『抗血小板薬、抗凝固薬』の中断が必要と判断された場合には、使用している薬の種類により、中断時期が違います。

参考例)
ワルファリン:処置3~5日前から中断
アスピリン(バイアスピリン):処置7日前から中断
塩酸チクロピジン(パナルジン):処置10~14日前から中断
※ アスピリンやバイアスピリンの作用時間は、血小板の寿命(10日前後)に等しい。
シロスタゾール(プレタール):処置3日前から中断
※通常、48時間以内には体外に排出されるため
塩酸サルポグレラート(アンプラーグ):処置1日前から中断
※ 半減期が短いため
※ 上記は、一般的な日数であり、具体的な中断日数等は、担当医の判断によります。